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浦和地方裁判所 昭和55年(行ク)4号 決定 1981年1月12日

申立人

手塚一郎

右代理人

石川博臣

村田彰久

被申立人

埼玉県知事

畑和

右指定代理人

瀬戸正義

外九名

主文

本件申立てを棄却する。

申立費用は申立人の負担とする。

理由

一当事者双方の求める裁判

申立人代理人は「被申立人が昭和五五年一二月三日付で申立人に対してした申立人の健康保険法に基づく保険医の登録を取消す旨の処分の効力は、本案判決があるまで、これを停止する。」旨の決定を求め、被申立人は主文同旨の決定を求めた。

二申立人の申立理由

1  被申立人は昭和五五年一二月三日付で申立人に対し、健康保険法に基づく申立人の保険医登録(昭和三六年一月一日登録)につき、申立人に次の同法四三条ノ一三第一号該当の事由があることを理由に、これを取消す旨の処分をした(以下「本件処分」または「本件保険医登録取消処分」という。)。

2  申立人は昭和五五年一二月八日浦和地方裁判所に被申立人を被告として本件保険医登録取消処分の取消を求める訴訟を提起し、同庁昭和五五年(行ウ)第一六号事件として適法に係属している。

3  しかし、申立人が本件保険医登録を取消されると、医師として一切の医療活動ができず、収入を得られないばかりでなく、医師として永年の間築き上げた社会的地位、名誉を侵害され、回復し難い損害を被り、本案判決の確定まで相当期間を要することを考えると、これを避ける緊急の必要性があるので、本件保険医登録取消処分の効力の停止を求める。

三被申立人の答弁及び反論

1  申立人の申立理由1の事実は認める。

2  同2の事実は認める。

3  同3の事実は争う。申立人には、回復困難な損害を生ずるとみられるような事情がないし、それを避けるための緊急の必要性もない。すなわち、申立人は、肩書住所地に宅地130.41平方メートル、その地上に昭和四八年五月一〇日新築の建物(軽量鉄骨造一部鉄筋コンクリート造亜鉛メッキ鋼板葺三階建居宅車庫延床面積211.12平方メートル)を有し、現在六一歳で医師として高給をえており、その貯蓄も相当あるものとみられる。そして、保険医としての登録が取消されても、医師の業務ができないわけではなく、たとえば、日赤の献血車等の検診医、生命保険の社医、会社の医務室における診療医師、船医などの活動はできる。

4  本件処分には違法性がなく、本案につき理由がない。

(一)(1)  申立人は昭和五四年一月四日から昭和五五年九月上旬ころまでの間(同年一〇月三一日退職)医療法人芙蓉会富士見産婦人科病院(以下「富士見病院」という。)において、健康保険法の保険医登録を受けた産婦人科医師としてその業務に従事していた。

(2)  申立人は、富士見病院に診療に来た患者に対しては、自ら、超音波検査(健康保険の対象である。)装置を操作し、右検査結果に基づいて診断し、その結果を患者に説明し、必要な場合入院、手術等の指示をすべき医師としての義務を有するのに、右勤務期間中暫々、北野早苗が、同病院の理事長であるが医師でもなく、超音波による検査機器を操作すべき法定の資格がないのに、超音波による検査機器を操作し、右検査結果による診断を行ない、その結果を患者に説明し、入院、手術等の指示をしているのを、その側に立会つて知りながら放置することによつて、前記医師としての診療義務を怠つた。右申立人の行為は健康保険法四三条ノ一三第一号、同条ノ六、保険医療機関及び保険医療養担当規則(以下「療担規則」という。)一二条(保険医の診療は、一般に医師――として診療の必要があると認められる疾病・・・・に対して、適格な診断をもととし、患者の健康の保持増進上妥当適切に行われなければならない。)に該当するので、本件保険医登録を取消したものである。

(二)  本件処分の通知書には具体的事実の記載がないが、抽象的に違反事実の存在と根拠法案を明記しており、また、その前提となつた弁明通知には、その具体的事実も明示しているから理由記載に不備はない。

5  本件処分の効力を停止した場合公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがある。富士見病院で同様にして北野により超音波検査、診断、説明、手術等の指示をされた患者は多数に及び、また、他の病院の同種の方法による診断等の苦情が相次ぎ、昭和五五年一〇月三一日現在所沢保健所で一、一三九件に達しており、また、申立人が同種違反行為を繰返すおそれも十分ある。

四申立人の再反論

1  本件処分は次の点で違法であり取消を免れない。

(一)(1) 被申立人主張三4(一)(1)の事実は認める。

(2)  同(2)の事実は争う。

超音波検査機器は医師が立会つておれば無資格者でもこれを操作でき、それは違法ではなく、申立人は北野が操作した場合に立会つており、申立人は右超音波検査結果をリコピーしたものに診断を記載して診断して、また、結果説明は北野の説明に誤りがあればその都度これを訂正しており、入院、手術等の指示はその担当医(最初に診察に当つたもの)が行つており北野は行なつていない。したがつて、申立人には被申立人主張のように医師としての診療を怠つたことはない。

(二)  本件処分書の記載では、どのような行為によりどのような根拠でしたのかその理由が明らかではないから、違法である。

2  本件処分の効力を停止しても公共の福祉に重大な影響を及ぼすものではない。申立人は今後本件処分で指摘されたような疑いをかけられる行為をするおそれはない。

五疎明関係<省略>

六当裁判所の判断

1  申立人の申立理由1(本件処分の存在)、2(本案の適法な係属)の事実については、当事者間に争いがない。

2  申立人は、本件処分により回復し難い損害を被りこれを避けるべき緊急の必要性があるという。

健康保険法による保険医の登録が取消されても医師免許が取消されるわけではないから健康保険関係以外の医師としての活動が理論上可能であることは被申立人主張のとおりである。しかし、健康保険が現行医療制度の重要な部分を占めている実情からみると、その保険医登録の取消は実際上医療行為の殆んどを禁止されるに等しく、そのことにより被るべき損害は、その医療行為ができずその収入を失うのに止らず、申立人が長年にわたり医師として築いた社会的地位、名声、名誉(たとえば、<証拠>を総合すると、申立人は昭和三五年二月医学博士、その後藤枝市立志太病院産婦人科医長、同愛記念病院産婦人科副医長、宮内庁病院産婦人科医長、東京厚生年金病院産婦人科医長を歴任したことが認められる。)を一挙に失墜することになるのであるから、回復し難い損害があるというべきである。そして、本案判決の確定には相当の期間を要することが職務上顕著であるから、これを避けるべき緊急の必要牲もあるといえる。この点の申立人主張は理由がある。

3  被申立人は、本件の本案は理由がない旨主張する。

(一)(1) 被申立人主張三4(一)(1)(申立人の富士見病院勤務)の事実は当事者間に争いがない。

(2)  <証拠>を総合すると、次の事実が疎明される。

(イ) 申立人は前記婦人科医としての経歴力量を評価されて、昭和五四年六月一八日から富士見病院の最も重要な部署であるME検査室にその担当医として配置され、同室には、他に医師は居らず、法定の資格のある補助者も居なかつた。その業務内容は、産婦人科の超音波検査装置により、ME検査、その影像コピー、所見の記載、検査に基づく診断(受像機の読み取りによる診断も含む。)、診断結果の患者への説明の業務を行なうことであり、右診断結果に基づく入院、手術等の指示は他の主治医(最初に患者を診察した他の医師であり、申立人はもつぱらME検査室に居り患者の主治医となつたことはない。)がするという立前になつていた。

(ロ) 超音波検査装置の操作は申立人が勤務する以前から約一〇年にわたり慣行的に富士見病院理事長北野早苗がしていたが、同人は医師の免許もなければ、超音波検査装置の操作につき法定の資格を有しておらず、また、医師の診断を補助するについて法定の資格を有しなかつた。

(ハ) ME検査室の実際の仕方は、北野が自ら超音波検査装置を操作し、その影像を見て北野が診断を下し、「子宮筋腫」、「卵巣のう胞」などと診断所見を影像コピーの欄外に記載し、その結果を説明し、入院や手術等の指示を行なつた。申立人は北野の横に立ちまたは座つて右北野のした一連の行為を監視し、北野の診断、説明に誤りや不足があるとその傍らから訂正補足をしたが、北野が理事長という立場にあるため自由な発言は差控えていた。申立人の考えによると、超音波検査装置の操作は医師である申立人ができるし、実際の技術は北野の方が巧みであつたため間違いはなく、医師である申立人が監督しておれば北野が無資格でも違法でないと思つていた。また、自己の所見を北野とは別に影像コピーの欄外に書いたことが六件程あつた。

以上のとおり一応認定することができ、一部右疎明に反する申立人審問の結果は信用し難く、他に右疎明を左右する証拠はない。

(3)  法は、医療行為の性質から医療行為を業とすることを一般的に禁止し法律上の資格を有する者に限つてこれを特に免許しており、医師及び看護婦等の資格を国家試験にかからせ厳格に規制している。ことに、医師は高度の専門的学識経験を有することから医療行為の権限と最終的な義務を負うものであり、このことは、自己の責任範囲が勤務する病院の配置により制限されていても、なお同一である。したがつて、病院のME検査室担当の医師として配置され、超音波検査装置を使用した検査及び診断等を主たる内容とする場合においても、臨床検査技師が超音波検査装置を医師の命により操作する場合と異なり、超音波検査装置を使用する一連の検査及び診断等についても、また、医師としてその最終的な医療行為義務を負う。その結果を更に他の主治医に報告し、他の主治医がそれに基づきさらに診療を進める場合においても、なお、右の意味での患者の診断義務を免れるものではない。

これをさらに敷衍すれば、医師は、診断にあたり、医療検査機器を自ら操作しまたは法定の資格を有する者に操作させて必要な検査を行ない、その検査結果その他必要な資料に基づき、自己の専門的学識経験及び良識から、適正で妥当な、診断を行ない、その治療方針の概要(たとえば、入院、通院の別、手術の要否など)を決定し、これらの点につき患者に説明し、治療の指示を行なうべき義務を有する。

ところで、右の医療行為が、健康保険法による保険給付としてされる場合においても、健康保険制度が適切な医療行為がなされることを前提としていることもとよりであるから、健康保険法四三条ノ六、療担規則一二条に定められた医療をするにあたり健康保険医が遵守すべき義務に、前記のような医師の義務が含まれているものと解するのが相当である。したがつて、以下、この観点から検討する。

(イ) 前記各事実により考察するに、超音波検査は健康保険法に基づく医療行為としてされたものであり、超音波検査装置の操作には法定の資格を要することは臨床検査技師、衛生検査技師等に関する法律二条一項、三条、同施行令一条八号に明規するところであり、富士見病院における前記認定の超音波検査装置もこれにあたるものとみられる。したがつて、申立人が医師として自らその超音波検査装置を操作する義務を有するところ、無資格者の北野にこれを操作させ、その義務を怠つたものといえる。北野が技術的に巧みであつても右法規に反することはもとより、医師である申立人が監視していてもなおその違法性は阻却されないから、北野の右操作をもつて、適法に申立人の操作行為に代えることはできない。

(ロ) 富土見病院のME検査室には医師として申立人のみが配置されていたこと疎明のとおりであるから、申立人は超音波検査装置による検査に基づき、その後の診断、診断結果説明などの行為を行なう義務があつたところ、これを全く行なわなかつた点でもその義務違反は免れない。ことに、北野が超音波検査の影像を見ながら診断類似行為をしている現場に立会つていたのであるから、北野の右診断行為を排除し、何ら同人の見解に影響されず、独自に、適正妥当な診断を行なうべきであつたものということができる。

もつとも、申立人は影像コピーの欄外に所見(それが診断にあたることはいうまでもない。)を書いたことが六件程あることは前記疎明のとおりであるが、被申立人において調査したところによると、ME検査室の検査を受けたものが五〇余名に及ぶこと(この点は松崎栄審問の結果から一応認められる。)からみると、このことだけでは、その他の場合に申立人が診断をしていないとの事実を左右するものではない。

(ハ) 診断結果の説明義務も医師である申立人の義務であることはいうまでもないところ、前記認定のような補足訂正の説明ではその義務を果しえるものではない。

(ニ) 次に、入院、手術等の指示の点については、直接的には主治医の義務であり、主治医になつたことがなかつたME検査室勤務当時には申立人はその義務を直接的には負わないが、申立人にしてみれば自己の面前で前記の非医師北野の診断類似行為がなされているのを知つているのであるから、その診断類似行為に基づく入院、手術等の具体的指示もまた違法であることを十分に知悉しえたものであり、このような場合、富士見病院医師としては右具体的指示については主治医の指示によるよう患者に説明し指示するか、主治医と協議の上自らその指示をする義務があつたものといえる。もつとも、申立ての全趣旨から成立が認められる甲第一号証では、申立人に対する弁明通知書記載の事実に「無資格者の行為を放任した」と記載されていることが認められ、この点文言上明確ではないが、この文言を解釈すると、右義務違反を含むものとみられる。申立人が右義務を怠つたこと前記疏明より、明らかである。

(ホ) 以下の点からみると、申立人の前記各行為は健康保険法四三条ノ六第一項、療担規則一二条の医師の診断義務に反しこれを怠つたものということができ、同法四三条ノ一三第一号の登録取消事由に該当し、したがつて、本件処分に実体上の違法性がないものと、一部判断することができる。

(二)  次に、本件処分の手続の点についてみるのに、<証拠>によると、本件処分書には、「健康保険法‥第四三条ノ一三第一号に該当する事実があつた」とだけその処分理由が記載されていることが認められ、その具体的事実の記載を欠いており、その限りでは違法であるといえないわけではない。しかし、その以前の弁明手続においては、<証拠>によると、処分理由事実について「超音波診断の担当医として無資格者自身が超音波診断装置を操作し、その検査結果に基づき診断を行い、且つ、患者に対してその診断結果を説明し、入院等の指示を行つていたという現場にいながら、それらの無資格者の一連の行為を放任していたものがあつた。」と記載しており、<証拠>によると、申立人がその事実について弁明書を提出していることが認められるのであり、右理由の記載事実には前記一応の認定と反する部分(「超音波診断」、「担当医」、「超音波診断装置」など)がありまた必ずしも明確でない部分があるとはいえ、なお本件処分理由としては概ね首肯することができるから、結局前記具体的事実を処分書に記載しなかつた違法はこれにより治癒されているといえる。したがつて、本件処分には手続的な違法性もないと一応判断できる。

(三)  以上のとおりであるから、申立人の本案は理由がないとみえるものということができ、この点の被申立人の主張は理由がある。

4  よつて、申立人の本件申立てはその余の判断をするまでもなく失当として棄却を免れず、申立費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用し、主文のとおり決定する。

(高木積夫 加藤一隆 荒井九州雄)

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